平安京の前の時代といえば…
唐の都の長安城をモデルとし、
奈良県奈良市周辺を区画整備して710年に誕生した平城京のことは誰もがご存じのはず。
その後…
781年に桓武天皇が即位しますが、
道鏡をはじめとした僧・仏教勢力が政治的な力を持ち始めたことから、
彼らを遠ざけることも理由の1つとして都を移すことを決意し、784年に誕生したのが長岡京です。
しかしながら…
長岡京の建設責任者が暗殺され、
その首謀者の一人として桓武天皇の弟の早良親王も幽閉・配流となって恨みを抱いたまま死去。
その後も飢饉・疫病の大流行や桂川が2度も氾濫するなどの災いが続いたことから再遷都の作業を開始。
そして…
794年 平安京の誕生
出典:
平城京と同じく、
唐の都の長安城(現在の西安)をモデルとした南北約5.2km・東西約4.5kmに広がる長方形のエリアで、
大路・小路で碁盤目状に区画整理された条坊制で形成されています。
北端には政治を執り行う大内裏が設けられ、その中心には天皇の住まいである内裏が置かれていたようです。
朱雀門から平安京の玄関口となる羅城門までは約85mという道幅を持つ朱雀大路が敷設されています。
これが明治時代の初めまで皇居が設けられて千年の都とも称される平安京です。
平安京は四神相応の都
四神相応とは…
北の玄武の大岩・南の朱雀の大池・東の蒼龍は大川・西の白虎は大道
これら天の四神に対応している地相的に最良とされている土地のこと。
平安京はこの四神相応之地を選んで建造された都で、
北は船岡山・南は巨椋(おぐら)池・東は鴨川・西は山陰道が当てはまるとされています。
なお、平安京の大内裏を実物の8分の5の規模で復元する形で1895年に創建された平安神宮の御朱印帳は…
また、京の四方と中央を守護する5つの社をめぐる京都五社めぐりというものもあり…
中央を守護する「平安神宮」のほか、
北の玄武「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」・西の白虎「松尾大社」・東の蒼龍「八坂神社」・南の朱雀「城南宮」
これらの5社を参拝して拝受できる御朱印の色紙も四神相応デザインです。
現代の平安京マップ
当時の朱雀大路は、
現在の千本通にあたり、
ずんぐりとした形状の船岡山の山頂に残る石が朱雀大路建造の基点とされています。
当時の街路図には、
祇園祭の発祥の地とされる神泉苑の名前が見えるほか…
世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つにも登録されている東寺の名前も。
また、東寺の西側には西寺が鎮座していたというのも注目点の1つで、
東寺と同じく壮大な五重塔があったらしいです。
上に添付したGoogle Mapには、
西寺跡のほか、平安京朱雀大路跡・朱雀門付近の碑・羅城門跡に加え、
長岡京跡の大極殿公園もピックアップしていますので、京都観光の参考にしていただければ幸いです。
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